100万回生きたねこ
作・佐野洋子 (講談社)
表紙の猫の、この自信に満ちた顔はどうでしょう。俺は何だってお見通しさ、怖いものなんか何もないぜとでも言わんばかり、ふてぶてしさすら感じます。けれどその一方で、これ以上ないほどに一人ぼっちで孤独な目つきにも思えます。
何しろ100万回死んでみてもなお終わりの来ない命を彼は生きているのです。考えてみれば随分と残酷な人生(猫生?)ではありませんか。彼のあの目は、そんな自身の生に対する徹底的な拒絶なのかもしれません。
一度も泣いたことなどないという猫。悲しいと思ったことなどないという猫。それは彼に心や感情がないせいではなく、むしろ自分を守るために、固く固く幾重にも心の扉に鍵をかけて感情を殺しているからではないかしら―――などと考えるのは、少しうがち過ぎでしょうか。
そんな彼が本当の本物のかなしみを知り、むき出しの感情をあらわにしたとき、ようやくその長い長い命が終わりを迎えるというラストは、とんでもないカタルシスを読む側に与えてくれます。
愛することを知ったからこそ味わうかなしみ。かなしみを知ったからこそ全うされる命。生きることの本質がそこにあります。
100万回泣いたあとの彼は、どんな目をして命の終わりを見つめたのでしょう。それは、我々読む側の想像にそっと委ねられています。