ぼくは川のように話す
文・ジョーダン・スコット 絵・シドニー・スミス (偕成社)
すらすらと思うように言葉が口から出てこない。
そんな特性を持つ少年にとって、話すという行為はひどく重荷で、ときに残酷な仕打ちに思えます。
と同時に、話すことへの限りない羨望や憧れも、彼の心には常にあります。なぜなら彼の内側には言葉があふれているから。彼にとって、話すという行為は本当はこの上なく美しいものなのでしょう。
吃音という、思うに任せぬ自身の事情、周囲からの嘲笑や好奇の目、それらの狭間で打ちのめされそうになりながらも、やがて「ぼくの話し方」を彼自身が受け入れていくまでの心の変化が、美しい絵とともに静かに語られます。
川の絵が本当に美しい。ことに少年の心象風景として描かれる川の場面は胸を打つものがあります。
「話す」という流れの中ではどもることも自然な出来事、それを含めてひとつの自然なのだと教えてくれるようです。
どもることは不自然じゃない。川だってどもってる。どもりながら、より広い場所へとただ流れているのです。