ブレーメンのおんがくたい
文・グリム 絵・ハンス・フィッシャー (福音館書店)
こいつはもう年を取って役に立たなくなったから、殺してしまおう
幼い頃に読み親しんだ名作「ブレーメンのおんがくたい」は、実はこんな物騒な設定で幕を開けます。
家畜として、主人のために辛抱強く尽くしてきたろば、いぬ、ねこ、おんどりですが、働き手として役に立たなくなってしまえば殺される運命です。
そんな人間の都合におのれの命を左右される理不尽な現実から逃げ出して、何とかして生き延びようとブレーメンの町を目指す彼ら。
ブレーメンに行けば、町の音楽隊にやとってもらえるかもしれない。自分たちにはまだまだ可能性も魅力もある。一緒に音楽をやれば、きっとすばらしいものになるよ。
“どこにだって、しぬよりましなことなら、ころがってるさ”
そんな言葉を合言葉に…。
子どもの頃はただただ楽しく読んだ童話も、大人になって読み返すと、今の世相と奇妙に符合する部分に気づいたり、時代が違っても変わらず息づいている人間の心理や固定観念というものに目が向いたりと、何かしら新しい気づきがあります。物語が持つ多面性とでもいうのでしょうか。
気づきといえばこのお話、結局ブレーメンの町には辿り着かないまま、音楽隊にももちろん入らないままで終わっていたんですね。
じゃあなぜこのタイトルなんだろう…?この不思議さもまた、多面性のひとつなのかもしれませんが。
ブレーメンとは、いわゆる桃源郷のことだったのかと思ってみたり。
ハンス・フィッシャーの、ユーモラスで無邪気さ溢れる挿絵も秀逸です。