ふたごのき
文・谷川俊太郎 写真・姉崎一馬 (偕成社)
北の国の、とある丘の上に立つ2本の桜の木。
冬から春、夏、秋、そしてまた冬へと変化していく景色の中で、変わらず同じ場所に立ち続ける桜の姿は、人の一生とは対極の悠久の時を思わせます。
そんな彼らでも小さくあくびをしたり、夢をみたり、虫と遊んだりしているのかもと想像するだけで、微笑ましい気持ちになりませんか。
2本の木が交わすあどけない会話は幼いふたごの子どもたちのよう。でも時にはっとするほど物事の真髄を突いてきます。それは永遠についてだったり日々の幸せについてだったり命の終わりについてだったり…。
木はどこにも行くことは出来ません。でも彼らは見て、聞いて、さまざまなことを感じている。そうしてじっと記憶している。人の死も、季節のめぐりも、自分たちの命のことも、彼らにとってはすべて大きな時の流れの中のこと。あどけないやり取りの中に、そんな達観した人生観のようなものが垣間見えてもくるのです。
人の一生には必ず終わりがあるけれど、その魂はこの桜の木のように、悠久の時の中で移りゆく世をそっと見つめているのかもしれません。
もしかしたら、そんな魂の在り処のことも、彼らは知っているのかもしれませんね。