マッチうりのしょうじょ
原作・アンデルセン 文・やなぎやけいこ 絵・アナスターシャ・アルチポーワ (ドンボスコ社)
少女の境遇は壮絶です。
寒空の下、破れた窓の修繕すら出来ない貧しい家、仕事もなく酒に溺れ暴力を振るう父、母は不在、そのうえ唯一の理解者であった祖母はすでに亡くなってもういない。
そんな生活の中、少女が町でマッチを売る理由は、自分の口を糊するためではなく、売らなければ父親に殴られるから…。
まさしく“絵にかいたような不幸”です。でも所詮は作り事、あくまで“昔の”お話の世界のことに過ぎないのでしょうか?
いえ、現代においてさえ、同じような凄惨な境遇に痛めつけられている幼い人たちはたくさんいます。たとえ経済的には恵まれていても、精神的な虐待にさらされている場合も。
翌朝、道端で凍え死んでいる少女が美しい微笑みを浮かべていることに、通りかかった人々は皆不思議な思いを抱きます。
マッチの小さな灯の中に、少女がどんな美しいものを見たのかは誰も知らない、と物語は結びますが、少女が見た美しい夢があくまでも自らの生を「生きる」ことではなかったということには、やるせない気持ちがします。
アンデルセンは自身の貧しい幼年時代の記憶と、それ以上の貧困にあえいだ母の少女時代の話をもとにこの話を書いたと言われます。原作が書かれたのが1845年。一説には、貧しい者を見捨てる当時のデンマーク社会への批判を込めて書かれたとも言われる物語。
それからおよそ180年を経た今でもなお、社会への警告と戒めに満ちた“現代の”物語として読むことができる事実を、我々はどう受け止めればよいのでしょうね。