今月のおすすめ絵本

ねむりひめ
 文・グリム兄弟 絵・フェリクス・ホフマン 訳・せたていじ  (福音館書店)

塔の上に佇む父と娘。

一枚の静謐な絵画のような表紙からは、待ち望んだ子をようやくにして授かった父王の、娘に対する溢れんばかりの愛情がうかがえます。

それと同時に、「15になったら、つむに刺されて死ぬ」というとてつもない不幸を背負わされた娘への憐憫や、何としても運命の魔の手から娘を守り抜こうとする強い意志も感じ取れます。

眼下に広がるのは広漠とした荒野、はるか向こうにはどこか不吉さを感じさせる黒々とした鳥の群れ。父王の切なる願いとは裏腹に、予言された運命がやがて避けようもなく降りかかってくることをほのかに暗示するかのよう。表紙だけでここまで物語の核心を表現しつくしていることに驚嘆します。

 

「ねむりひめ」は、あらがえぬ運命にひたすら身を任す(眠る)だけの物語にも思えます。

目覚めの瞬間も姫自らが何かを切り開くわけでもなく、王子にしても、いばらは彼を迎え入れるかのようにするすると分かれて道を開け、何ら苦労をすることなくやすやすと姫のもとにたどり着けてしまうのです。

登場人物の冒険や成長を期待することに慣れてしまった我々には、どこか物足りなさを感じてしまう話です。

けれども、「すべてのことには時がある」というあの有名な聖句を思い起こすとき、これほどすとんと腑に落ちる物語もないように思われるのです。

努力をしても避けられなかった不幸な出来事。あるいはほんのわずかな不注意が招いてしまった不運な出来事。

いったい何を間違ったのか、どこに正解があったのかと、思いわずらい揺れ動く我々の思惑の対極に、定められた時というものが厳然として存在する。それを神の領域と呼ぶのか運命と呼ぶのかは知らないけれど…。

そんなことを思いながら読みました。

人生のさまざまな局面において、その都度もがいたりあらがったりすることを放棄するつもりはまだなくとも、あらゆる出来事には時があるのだと考えることは、ときに言いようのない慰めを我々に与えてくれるのかもしれません。

 

瀬田貞二氏の訳は、流麗で淀みなく、語りかけるような文体。ホフマンの絵は、抑えた色調と圧倒的な構図力で全編息を飲むような美しさ。ことに終盤の、ねむりひめが目覚める場面は秀逸です。

数ある「ねむりひめ」の絵本のなかでも最高峰の逸品と私は思っています。

 

 

Homeへ        収録絵本一覧へ

inserted by FC2 system